『アベンジャーズ エンドゲーム』感想(ストーリー・キャラクター編)
下記リンク先記事の続きです
『アベンジャーズ エンドゲーム』
©Avengers:Endgame/Marvel Studios
概要
キャスト:
ロバート・ダウニー・Jr クリス・エヴァンス クリス・ヘムズワース
スカーレット・ヨハンソン ジェレミー・レナー マーク・ラファロ
ジョシュ・ブローリン etc.
※以降ネタバレ注意!!!
あらすじ
サノスの計画が成就し、インフィニティ・ストーンの力で全宇宙の生命が半分となってしまった。
ネビュラと共に宇宙を漂流するアイアンマン/トニー・スタークは、キャプテン・マーベル/キャロル・ダンヴァースに救われ、地球に帰還。
アベンジャーズはサノスの居所を突き止め急ぎ向かうが、もはやそれを不必要としたサノスによってストーンは破壊されていた。
ソーがサノスに止めを刺し、消えた生命を救えない事実にやり切れない思いを抱えながら、ヒーローたちの戦いは幕を閉じた。
それから5年後。
ヒーローたちは苦悩しながらも、新たな幸せを見つけようとしていた。
トニーは妻のペッパーと娘のモーガンと共に平穏な日々を送り、ハルク/ブルース・バナーは2つの人格を統合することに成功していた。
キャプテン・アメリカ/スティーブ・ロジャースは残された者たちに前を向くことを説き、ブラック・ウィドウ/ナターシャ・ロマノフはチームの指揮を取っていた。
一方、ソーは酒に溺れ、家族を失ったホークアイ/クリント・バートンは悪を無差別に制裁するローニンと化していた。
そんなある日、量子世界に閉じ込められていたアントマン/スコット・ラングが帰還する。
彼は量子世界では時間の流れが異なることをスティーブとナターシャに説き、タイムトラベルが可能であることを示す。
バナーにより、過去を変えても現在が変化するわけではないことが説明されるが、過去からインフィニティ・ストーンを集めれば消えた生命を蘇らせることができると気づいたアベンジャーズは行動を開始する。
感想
家族を失った者たち
冒頭でクリント(ホークアイ)が家族を失う流れが切なかったです。
家族の幸せな時間がしっかり描かれることで、サノスが引き起こしたことがどれだけの悲劇なのかが鮮明に伝わってきました。
妻と子供たちが画面外で静かに消えるという演出も、わかってるなって感じです。
まるであの幸せは最初から夢だったのではないかと錯覚させられるような静寂。
ヘタに悲鳴をあげられるよりもゾッとします。
同じく家族を持つスコット(アントマン)が帰還し、悲劇の全貌を知る流れもよかったです。
こっちは演出も音楽もエモーショナルで、また別の味わいがありました。
キャシーが生きていたのはよかったけれど、自分が知らないところで娘が5歳も成長したっていうのもそれはそれで切ない……。
前作でも、移民に奮起したアスガーディアンたちを半壊させたり、クイルといい仲になってきたガモーラの命を奪ったりと、単体作品で暗示された明るい未来を神の如き圧倒的なデリカシーのなさで破壊したサノスですが、ついにその魔手が『アントマン』にも及んだのはショッキングでした。
終末後に得たもの
多くの人間が多くのものを失った一方で、時が経ち、何かを得た者たちもいました。
トニーはペッパーとの平穏な結婚生活を始め、娘まで設けて、ある意味今まで追い求めてきた幸せを全て手に入れていました。
バナーもついにハルクとブルース・バナーの統合に成功し、これまでになく活き活きしていました。
構造編でも触れましたが、そういうものも描くことによって、現状を「絶対に打破されるべきもの・打破されなければおかしいもの」ではなく「受け入れるべきかもしれないもの」として感じさせるのは高度な演出だなと思います。
得たものがあることによって、失ったものが決定的となる。
本作はその先を突き詰めるお話で、『エンドゲーム』でありながら、ある意味エピローグともいえますね。
ただ僕は、そういう演出意図を抜きにしても、トニーが得た素朴な幸せの描写を魅力的に感じ、もっと見ていたいと思いました。
本当、やっと幸せになれたねって思いが結構強くて……。
United we stand
『アベンジャーズ』『エイジ・オブ・ウルトロン』『シビル・ウォー』と3度に渡り衝突し、決別したトニーとキャップ。
てっきり彼らの再会=和解になると思っていたので、トニーがまだまだキャップに食ってかかったのにはちょっとだけびっくりしました。
タイタンでの戦いにキャップが居なかったことをトニーは責め立てましたが、そんなこと言われてもねえ。
まあこれはキャップに対する信頼の裏返しでもあるんですが。
5年後、ついに彼らは和解しましたが、わりとあっさりしていました。
トニーのピンチにスティーブが駆けつけて、戦いの中で和解した方が盛り上がったような気もしますが、本作のトーン的にはこっちの方が合っているかもしれません。
「United we stand,divided we fall(団結すれば立ち上がり、分裂すれば倒れる)」を謳ってきた後期アベンジャーズ・サーガにおいて、アイアンマンとキャプテン・アメリカが再び手を組むことは最大の勝利フラグであるわけですが、「だから勝てちゃうぜ!」って極端な演出ができる空気はもう終わってますからね。
それでも団結したことが勝利に繋がったことは間違いないわけで、熱いことには変わりありませんでした。
ただ、キャップはトニーに返してもらった盾をもうちょっと大切にしよう。
いや大切にしてるんだろうけど!
わかってるけど!
高層ビルでバン! と投げられてボン! と落とされるとハラハラするわ。
ヒーローを「選ぶ」
ヒーローとして守る平和と自分の人生の折り合いをどうつけるか。
このシリーズの核となる重要なテーマです。
トニー・スターク編及びスティーブ・ロジャース編の完結編である本作で、この命題についての彼らの終着点がきっちり描かれたことは感無量でした。
過去で父・ハワードに「大儀のために自分の人生を犠牲にする必要はない」と説かれたトニーは、それでも自分の命を使って世界を守る。
逆に過去で自分の人生を最高の形で取り戻す方法を見つけたスティーブは、トニーの言葉に後押しされ、そこで幸せを手に入れる。
これはその場の状況など様々な要素が影響した結果であって、単に二人の思想や立場が真逆になったというわけではありませんが、こういう結果になり得るくらいに二人が変化したことに感動しました。
でも、ある意味この二人よりもさらに切実な問題を抱えていたキャラクターがいて、それはバナーなんですよね。
ハルクを制御できない限り、バナーはまともな人生を送ることが物理的に不可能であるわけで、そんな「選択以前の問題」を抱える彼が物語の中にいることが、ヒーローとしての生き方から「逃れられない」という可能性を暗示し、それぞれの境遇を呪いにしていました。
バナーとハルクが統合されたことは、呪いが呪いと呼べるものでなくなり、物語が許容する結末の範囲が明確に広がったということでもあります。
その上で、トニーがヒーローを「選んだ」と考えると、さらに美しさを感じます。
ありのままの自分
上記のテーマについて、ソーの描かれ方も非常に面白いものでした。
トニーやスティーブと違って、ソーがヒーローに縛られる理由は「誇り」。
そもそも、インフィニティ・ガントレット以外の方法で民を消されたソーにとって、今回の戦いで取り戻せるのは誇りだけ。
そう書くと彼は生まれついてのヒーローであるように感じますが、そうではなかった。
酒に溺れ、だらけきった身体で、「何か正しいことをさせてくれ」と泣きじゃくる彼を見て、2つの顔を持たない側だと思われていた彼もまた、「ヒーローではない自分」を持つ存在だということを知り、より彼を好きになりました。
今までギャグで済まされてきたKYな物言いが切実な欠点として機能したのも上手いです。
ハルクに自分を救った相棒と呼ばれ、母親にありのままの自分を肯定され、自分の人生を歩み出す下地ができたソーですが、旅路はまだまだこれから。
仲間となったガーディアンズたちとどんな冒険をしてどんな成長をするのか楽しみです。
影の主役たちについて
今回のホークアイは見せ場がたくさんありました。
家族を失ったことによる闇堕ち、ナターシャが犠牲となったソウル・ストーン入手の際の悲痛、アウトライダーズをバッサッバッサと切り伏せる大暴れ。
もう影の主役ですね。
どのキャラクターもそれぞれ重いものを背負っているけれど、彼の心境に一番共感したって人は多いと思います。
かっこよかったです。
ネビュラも本作の主役といっていいと思います。
前作を観た後は、見知らぬトニーと二人きりで気まずさMAXになるんじゃないかと思っていましたが、すんなりと仲良くなっていて、さらにアベンジャーズとも打ち解けて、微笑ましかったです。
人を信じることを知らない過去のネビュラがサノスを手引きし、現在のアベンジャーズに破滅をもたらしたのには歯がゆい気持ちがしますが、人は環境や経験によって別人になるということがわかりやすく伝わってきてよかったと思います。
ひょっとしてサノスの「迷惑かけたな」という言葉を早い段階で聞いたことが、過去ネビュラの忠誠を確固たるものにしたのかもと思いましたが、考えすぎでしょうか。
だとしたら、愛が破滅を招いたわけで、なかなかの皮肉です。
最終決戦は『王の帰還』や「エンドアの戦い」に匹敵するかそれを超えるほどの規模と熱さでした。
ビッグ3の揃い踏みといい、キャップがついにムジョルニアを扱ったことといい、サムの「On your left」といい、全員集合からの「アベンジャーズ・アッセンブル」といい、求めていたものはほぼ全てやってくれました。
とにかく素晴らしいと思ったのは、最後、トニーがギミックで勝利をもたらすということ。
自作したガントレットからパワードスーツにインフィニティ・ストーンが移動するというちょっと人を食ったような「仕掛け」で勝つというのが、トニー・スタークらしいというか、ロバート・ダウニー・Jrのキャラらしいというか、エンターテイメントの醍醐味の一つというか、そういうものを感じさせてくれて、そんな「元祖・トニーの魅力」に一周回って戻ってきたのがたまらなく爽快でした。
そういう頭脳とセンスと勇気を以てして、「アイアンマン」なんですよね。
一応不満な点を挙げておくと、ロングショットや連携合戦が思ったより少なかったのと、せっかくトニーに返してもらったキャップの盾が早めに破壊されてしまったのが残念。
何よりも「アッセンブル」時にナターシャにも居て欲しかったけれど、そればっかりはしかたないか……。
大いなる犠牲
ナターシャとトニーが亡くなったことが本当にショックです。
やっと手に入れた家族のために命を捧げたナターシャは幸せだったと思うし、数年前、身代わりとなったホー・インセンに「その命、無駄にするなよ」と言われて助けられたトニーが、今度は誰かの身代わりになるというのも感慨深いものがありますが、それでも悲しいです。
また、本来の時間軸のガモーラが復活しないというのもかなり辛いです。
帰ってくる者もいる。
だけど、帰ってこない者もいる……。
予想していたより、ずいぶん重い現実が待っていました。
でもそれがないと嘘になる。
悲しいけれど、英断だったと思います。
未来は過去に
もうすっかり叶わないとばかり思っていたスティーブとペギーのダンスの約束。
過去に戻るという選択肢を得て、その約束がついに果たされたことになんともいえない幸福感と切なさがあふれてきて涙しました。
お疲れ様、キャプテン・アメリカ。
そして、盾と信念を受け継いだ二代目キャプテン・アメリカことサム・ウィルソンの戦いに大いに期待します。
評価:☆☆☆☆☆(5点満点)
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