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サノス考察|ヒーローか悪人か?アーマーの有無で違う?

今回は『アベンジャーズ』サーガのラスボスを務めたサノスについての考察をお届けします。

 

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©THE INFINITY GAUNTLET/Marvel Comics

 

サノスの概要

マーベル・コミックスの代表的なヴィランの一人。

虚無主義に傾倒し、「死」を愛するがあまり大規模な犠牲を伴う凶行を繰り返す危険人物。

超人類・エターナルズの血を引くタイタン人で、高い身体能力・耐久力・知力などを有するが、虚無主義が過ぎるあまり無意識に自らを敗北に導くという弱点を持つ。

カプコンのゲームに登場したことから、日本でも以前からある程度知名度があった。

マーベル・シネマティック・ユニバースでは『アベンジャーズ』のポストクレジットでその姿を見せ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で本編に初登場。

満を持してメインヴィランを務めた『インフィニテイ・ウォー』では、資源の枯渇を防ぐため、全宇宙の生命を半分に減らすことを目的として動き出し、インフィニティ・ガントレットを完成させることでその野望を実現した。

一部を除き、声とモーションキャプチャーを務めたのはジョシュ・ブローリン

 

サノスの感想(MCU)

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に登場した時のサノスは、肉付きがよく、少し老いた風貌のデザインで、まさに尊大で醜悪な「悪の帝王」という印象を受けました。

しかし『インフィニティ・ウォー』では、彼の目的が私利私欲によるものではないことが判明し、その人間性は深く掘り下げられ、デザインもよりスタイリッシュなものとなり、「悪の帝王」のイメージは急速に薄れていきました。

それ以降の彼は正直、かなり好みのキャラクターです。

「宇宙の生命の半分を消し去り、もう半分を救う」という思想事体には賛同できませんが、目的のために淡々と計画を推し進める彼の信念と胆力、どうあっても話が通じない狂人っぷりには、これまで登場したヴィランたちとは一線を画す凄味を感じました。

また、愛を知り、その上で愛する者を目的のため犠牲にできるサノスは、サイコパスであると同時に精神的な超人であり、恐怖と哀愁を同時に呼び起こすその異常性もなかなか興味深かったです。

 

サノスは善きサマリア人か?

サノスの思想にはある程度の妥当性があります。

それに、平和のために他者の何かを犠牲にしようとしたのは彼だけではありません。

ヒーローとされるアイアンマン/トニー・スタークだって、市民や他のヒーローの自由を少しばかり犠牲にしようとしました。

では、サノスもまたヒーローと呼べるのでしょうか?

もちろん、究極的なことをいえば、ヒーローとはなんたるかを客観的に定義することは不可能です。

しかし、少なくとも作中においては、サノスはヒーローではなく悪とされていると考えて間違いないと思われます

また、そうである理由も二つほど明示されています。

まずは、サノスの「独善性」です。

彼が平和のために犠牲にしようとしているのは尊い生命、それも罪の無い大多数の命だというのに、彼は自分の考えが間違っているとは一瞬たりとも思いません。

そういう独りよがりな姿勢こそ、ある意味最大の悪であるというのが、作中で示された基準の一つです。

もう一つは、彼が見せる「単なる凶悪性」です。

『エンドゲーム』で登場した過去のサノスは、地球人を壊滅させることを「楽しませてもらう」と発言しており、また、ソーを手にかけようとした時にも邪悪な笑みを浮かべていました。

そういった凶悪な側面を持つ以上、彼をヒーローとは呼べないというのも、作中での基準なのでしょう。

ちなみに、この基準はMCUに登場した他のキャラクターにすでに言及されています。

デアデビル』に登場した、ウィルソン・フィスクことキングピンです。

愛するヘルズキッチンをより良い街にするために、残忍で暴力的な手段をとり、他のギャングどころか一般市民をも傷つける彼は、奇しくもサノスのミニチュアバージョンともいえるヴィランです。

そして、フィスクは『デアデビル』シーズン1の最終話で、聖書の一節を引き合いに出し、「自分のことを旅人を救った善きサマリア人だと思っていたが、実は旅人を襲った盗賊だった」と語りました。

解釈には余地がありますが、犠牲を尊ぶことはあっても、虫けらのように踏みにじることもある自分を、「単なる凶悪性」の有無で測り、悪と認識したのだと思われます。

 

カカシとなったアーマー

しかし、「独善性」はともかく「単なる凶悪性」については、サノスの恒久的な本質であったのかどうか疑問の余地が残ります。

『インフィニティ・ウォー』では、彼はほとんどの場合において、計画のためにしか誰かの命を奪っていません。

また、『エンドゲーム』の冒頭でも、彼は好戦的な様子を一切見せていません。

興味深いのは、このような時の彼はアーマーを脱いでおり、凶悪性を見せる時はアーマーを身に着けているという点です。

そして、トニーにとってのアーク・リアクターやパワードスーツと同じように、サノスにとってのアーマーは自分の人生を使命に繋ぎとめるアイコンです。

使命を遂げて隠居した彼は、アーマーを農園のカカシにしていました。

これらのことから、彼の凶悪性は使命に縛られることに伴うなんらかの歪みの一種であり、より純粋に使命を遂行する存在にシフトすると弱まり(『インフィニティ・ウォー』中盤以降)、使命が無くなると同時に消える(『エンドゲーム』序盤)ものであると考えられます。

もちろんこれは、歪みがそのような形で発露する悪しき素養が元からあったということでもありますが。

 

もう一つの目的

サノスにはもう一つの目的があったと思います。

自己陶酔です。

幼きガモーラの幻覚に向けたサノスの顔は、「大いなることを成し遂げたぞ。僕を認めてくれ」とでも言っているように見えました。

サノスがヒーローかどうかはわかりませんが、少なくとも、彼はヒーローになりたかったのだと思います。

余談ですが、もしそのようなコンプレックスが、原作と同じように容貌の醜さに起因するものであったとしたら、生まれついてのルックスとチャーミングさを持ったトニーに下されるという最期には、ある種の寂しさが宿っているような気がします。