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『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』感想(構造編)

アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』

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 ©Avengers:Infinity War/Marvel Studios

 

初日に観てきました。

個人的には、現時点でのマーベル・シネマティック・ユニバースの最高傑作だと思っています。

一言で言うと、「ついにかゆいところ全てに手が届いた」といったところでしょうか。

 

 ※この記事は2018年5月1日に旧ブログに投稿したエントリーの再掲です。

 

新たなバトルの構図

少し前まで、このシリーズの肝の一つである「オールスターな戦闘シーン」は、「雑魚軍団との戦い」がメインでした。

アベンジャーズ』では大量のチタウリを、『エイジ・オブ・ウルトロン』では大量のウルトロン・ユニットを一掃することが、バトルの中核をなしていました。

しかし、こういうのはどうにもちょっと飽きる気がするんです。

淡泊とまではいきませんが、敵の特性がみんな同じだから、戦闘の内容を工夫するのにどうしても限界がある。

また、倒しても倒してもどれだけ雑魚が湧いてくるのかわからないから、あまりスッキリしない。

これらの問題を打ち破ってくれたのが、『シビル・ウォー』における空港での戦闘シーンです。

それぞれ個性的な能力を持ったヒーローたちが6VS6でぶつかり合うという構図は、もともとあった「連携の面白さ」に、さらに「組み合わせ(カード)の面白さ」「掛け合いの面白さ」「単位という要素」をプラスし、戦闘をより多面的にしました。

このような構図を、本作ではついに「ヒーローVSヴィラン」で見ることができます。

これが本当に面白いし、かっこいいし、ワクワクさせられる。

ブラック・オーダーが二人組で急襲してきた序盤の戦闘シーンでは、上に挙げたような新しい魅力がさらに洗練され、進化しています。

アメリカ的な「災害救助の延長線上にある戦闘」から、粒と粒がぶつかる、より「漫画的な戦闘」、より「敵・味方両方のキャラクターを引き立てる戦闘」への鮮やかなシフト。

中ボスとしてブラック・オーダーを登場させたのは大正解です。

 

「ヒーローたち」がいる世界

アベンジャーズ』でヒーローたちが共闘したのは、ニック・フューリーが仕込んだ計画であり、いわば一時的な「イベント」でした。

後の『エイジ・オブ・ウルトロン』『シビル・ウォー』では、ヒーローたちが共に活動することはイベントではなくなっていましたが、それでも規律の元に遂行される「ミッション」でした。

『シビル・ウォー』ではヒーローの活動を管理・制限する「ソコヴィア協定」が争点となっていましたが、協定を抜きにしても、MCUのヒーローたちは、特に集合する際において、わりと公的な性質を持っていたといえます。

ところが、本作では違う。

ハルクがドクター・ストレンジの家に落ちてきて、ドクター・ストレンジがアイアンマンを召喚したかと思えば、まるで「通りかかったから」と言わんばかりの雰囲気でスパイダーマンが参戦する。

そのままの流れで、一緒に宇宙にまで行ってしまう。

このように、ヒーローたちが私的に、「しれっと」集まり、共闘することによって、「ヒーローが複数存在する世界」という醍醐味と、そこから広がる奥行きや可能性が底上げされています

いい意味で、コミックに近いなんでもありの世界に近づいているんです。

まさに「マーベルそのものの実写化」という感じがして最高にワクワクしますし、今後、この方向性が宿すポテンシャルは無限大だと思います。

 

やっと見れたシリアスな『アベンジャーズ

エンターテイメントにおける「笑い」の要素というのは難しいもので、なければ寂しいですが、扱い方を間違えると作品の邪魔にさえなります。

例えば『マイティ・ソー ダーク・ワールド』は、ソーが王座を継ぐ権利を自ら手放すまでの過程を描いた物語のはずですが、手あたり次第のタイミングでギャグを挟みまくったせいで、ソーの心境がどういう風に変化していったのかがほとんど読み取れず、わけがわからないことになっています。

ドクター・ストレンジ』でもそれに近い現象が起こっています。

また、『アベンジャーズ』と『エイジ・オブ・ウルトロン』は傑作と佳作ではあると思いますが、ギャグの挟まれ方が周期的なまでに定期的で、それによって生じる「コメディのリズム」が全体の話の運びを牽引することで、作品のシリアスレベルがかなり下げられています。

(つまりお手本のような教科書通りのコメディの造形が、この点に関してはマイナスに働いてしまっている。)

逆に理想的なのは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズや『アントマン』『マイティ・ソー バトルロイヤル』で、あれだけギャグが盛り込まれていても、シリアスなシーンの魅力が一切損なわれていません。

これは、作り手側がサービス精神の扱い方とバランス感覚を理解しているからだと思います。

「笑い」は非常に重要なものですが、それでも観客が最も興奮し、最も感動するのは深刻さの先にあるカタルシスあり、「笑い」がそれを欠くものであってはならないということを、彼らはわかっています。

では、かなりシリアスな『ウィンター・ソルジャー』や『シビル・ウォー』の監督を務めたルッソ兄弟が、必然的に「笑い」の要素を増やすことになる『アベンジャーズ』シリーズを手掛けた本作での配分はどうかというと、完璧です。

秀逸なギャグがたくさんあるというのに、『アベンジャーズ』『エイジ・オブ・ウルトロン』では見られなかった「コメディのリズムに支配されていないシリアス」「切実なカタルシスが、贅沢なまでにしっかりと機能しています。

特にキャプテン・アメリカの登場シーン、ソーの参戦シーン、そしてサノスにまつわる全てのシーンが放つエネルギーは鳥肌もので、「そうそう、こういう『アベンジャーズ』が見たかったんだよ!」と心の中で叫んでしまいました。

 

ストーリー・キャラクター編へ続く↓

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