『デアデビル』の見所を解説!MCU最高傑作!?
今回は、マーベル・シネマティック・ユニバースとNetflixが組んだオリジナルドラマ『デアデビル』の見所を紹介します。
©Daredevil/Marvel Television/ABC Studios/Netflix
概要
『デアデビル』は同名のコミックスを原作としたドラマで、マーベル・スタジオが展開するマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)に含まれます。
主役のデアデビル/マシュー・マードックは、事故で視力を失った代わりに超感覚を得たクライムファイターで、昼は弁護士として働き、夜は街に巣食う犯罪者たちと戦っています。
デアデビルはマーベル・コミックスの中でもかなり上位に入る人気キャラで、過去にベン・アフレック主演で映画化もされています。
※この記事は2016年11月14日に旧ブログに投稿したエントリーの再掲です。
感想と見所
いやー、面白かった。
このドラマの製作と配信が発表された当時は、「ドラマはどちらかというとDCが優勢」というイメージと「あのデアデビルを映画でやらなくていいの!?」という驚きがあって、ちょっと不安だったのですが、完全に杞憂でした。
はっきりいってコレ、MCU全作合わせた中で一番好きって人も絶対いると思います。
元の設定を最大限に活かした骨太のストーリーと、ドラマ最高峰レベルの格闘アクションのどちらも圧巻で、非の打ちどころがない。
最高でした。
そして、『デアデビル』にはこれまでのMCUとは大きく異なる長所がいくつもあります。
まずは「シリアスさとダークさ」。
他のMCU作品も基本的にはシリアスなのですが、『デアデビル』は汚職・腐敗・金・組織犯罪などを巡る描写がハンパじゃなく、明らかにトーンが異質です。
しかし、その張りつめたリアルな空気が、素晴らしい脚本と合わさることで「王道」と成り、圧倒的な完成度に到達しています。
また、痛ましいほどに「暴力」が本当に「暴力」なので、その意味合いも切実なものとなり、物語に深みを与えています。
次に「正体を隠したヒーローであること」。
MCUにおけるアベンジャーズの面々は、歴史的偉人であるキャプテン・アメリカ/スティーブ・ロジャース、活動開始早々に正体を明かしたアイアンマン/トニー・スターク、そもそも二つの名を持たないソーなど、シークレット・アイデンティティの問題を宿さないヒーローばかりです。
そもそもMCUでは、『アイアンマン』から『シビル・ウォー』まで、一貫して「正義の民営化」と公的な勢力との駆け引きが組織単位で国際的に展開されており、本来ヒーロー作品につきものの「個人の正体の問題」が入り込む余地はありませんでした。
その点、デアデビルは世界ではなく、自分の街(ヘルズ・キッチン)を守るために戦うクライムファイターなので、「正体を隠しているからこその孤独と葛藤」を掘り下げることが可能です。
この新たな要素が軸となることにより、過去のトラウマや生と死、善と悪、罪と罰などのモチーフが、よりわかりやすく、より等身大で訴えかけてくるようになっています。
最後に「敵が魅力的」。
MCUはどうにも悪役の魅力が不足しているという意見をよく目にします。
権利関係により超人気ヴィランを登場させられないという理由の他に、企画の性質上、ヒーローの人物造形を優先させるコンセプトがその原因だと思われますが、『デアデビル』では悪役の造形にもかなり力が入れられています。
今回立ちはだかるウィルソン・フィスクは、特殊能力を持たないながらも、原作マーベル世界の犯罪界の頂点に立つ男で、キングピン(親玉)と呼ばれている大物です。
シーズン1でのフィスクはまだ「キングピン」とは呼ばれておらず、原作で事業家・慈善活動家という表の顔も含めて広く認知されているのとは正反対に、全くその存在を知られていないところから本編に参加します。
しかし、この時点でも既に裏の世界(ひいては社会全体)は彼に牛耳られており、その特殊なポジションとパーソナリティが、「残虐だが恋人や母や友人のことは深く愛する性格」「手段が違うだけで彼も街を良くしようとしているという事実」「癇癪を起こした子供のような戦闘スタイル」などの側面が明かされていくことによって、さらにどんどん魅力的になっていき、彼から目が離せなくなります。
演じるヴィンセント・ドノフリオの怪演も凄まじいです。
さて、ここまで『デアデビル』の見所を3つ示しましたが、そのどれもが、一挙に製作・配信されるNetflixオリジナルドラマだからこそフルに活かされ、結果に繋がったと思います。
見た後だと「映画じゃなくてよかったな」とすら感じますし、また、クリフハンガーや「意外な展開」をある意味作業的に詰め込む性質がある連続テレビドラマでも、ここまで伸び伸びとした作品にはならなかったと思います。
マーベル・スタジオの適材適所をわかっているところというか、プロデュースにおける先見の明には畏怖の念すら感じます。
評価:☆☆☆☆☆(5点満点、シーズン1)