『エルカミーノ』(ブレイキング・バッド)感想・考察|俺的解釈と裏テーマ
企画の存在が明かされてから待ち焦がれていた『エルカミーノ』、配信開始日に視聴しました。
よく言えば品のある、悪く言えば地味なストーリー展開で、ちょっとスピンオフ『ベター・コール・ソウル』寄りのテイストになっており、人によっては「期待と違うな」と思われそうな一作でしたが、十分傑作だと感じました。
例によって僕なりの考察(解釈)を書いていこうと思います。
『エルカミーノ:ブレイキング・バッド THE MOVIE』
©El Camino: A Breaking Bad Movie/Sony Pictures Television/Gran Vía Productions/High Bridge Productions/Netflix
概要
史上最高のテレビドラマシリーズと称される『ブレイキング・バッド』の続編。
主要登場人物ジェシー・ピンクマン(アーロン・ポール)のその後が描かれる。
あらすじ
物語はまさに『ブレイキング・バッド』最終話の直後から始まります。
ウォルターの襲撃によりジャック一味の監禁から解放されたジェシーは、当然警察に追われることとなり、友人のスキニー・ピートとバッジャーの家に身を寄せます。
二人の献身的な助けにより一時をしのいだジェシーは、ジャックの甥・トッドが生前暮らしていた部屋へと向かい、彼が隠した金を回収しようとします。
その金を使って、かつて一度見送った、別の人生を与えてくれる男にもう一度依頼を持ちかけるつもりでしたが……。
果たして単純な話だったのか
大前提として、本作は独立した作品として楽しめるものではなく、まさしく『ブレイキング・バッド』の続編と呼べる内容となっています。
故に、これまでのストーリーやキャラクターについての知識がないと、ほとんどのシーンが意味不明のはずです。
ただ、それを抜きにすれば、「過去の清算」「自由への逃避」というわかりやすいテーマをわかりやすく掲げた単純な作品のようにも見えます。
しかし実際には、なかなか興味深い要素が詰まっていると感じました。
裏テーマは「ずる賢い大人」像の再定義?
ジェシー・ピンクマンといえば、支配的で自己中心的な「ずる賢い大人」たちに利用され続けてきた若者です。
この「ずる賢い大人」というものを再定義し、彼らとジェシーの関係性を見直すことが本作の隠れたテーマだと僕は思います。
しかしこれは、「『ずる賢い大人』にもいい面はあるよ」という単純な再定義ではありません。
ジェシーを最も狡猾に利用してきたウォルター・ホワイトを通して、「ずる賢い大人」が優しさも持ち合わせていることはとっくに示されています。
本作で描かれるのは、その優しさが、まさに大人の優しさらしく、子供(若者)を自立(自由)へと導く(導こうとする)様子です。
すなわち、子供を利用し、抑圧する「ずる賢い大人」と、子供の世話を焼き、その歩みを後押しする「導いてくれる大人」は、同一の存在足り得るというところまで人間を掘り下げ、突き詰めているのが本作なのだと思います。
掘り下げられる一人目の「ずる賢い大人」は、解体屋のジョーです。
彼は昔からのよしみで、ジェシーに頼まれた車を無料で解体すると申し出ましたが、盗難車回収システムが起動し、警察が駆けつけることがわかると、ジェシーを見捨てて一目散に逃げ出しました。
これは逆に言えば、状況によっては簡単に人を見捨てるような「ずる賢い大人」が、「子供」が自由になるための支援を無償で行おうとしたということです。
二人目は、溶接工のニールです。
ジャックたちの取引先であった彼は、監禁されていたジェシーに同情する様子を見せず、ジェシーが解放された後も、トッドの隠し金の一部を横取りした悪党です。
しかし、ジェシーがニールたちの工場に訪れ、金を分けて欲しいと頼んだ際、ニールは要求を突っぱねることもできたというのに、金を賭けた決闘を申し込みました。
その結果、命を落とし、ジェシーに求めるものを与えることになりました。
これは、限りなく悪に近い「ずる賢い大人」が、「子供」の壁となり、打倒されることで道を作る「父親」の役割を担ったということです。
三人目は、掃除機屋のエドです。
隠蔽工作の達人で、依頼人に別の人生を用意することができる彼は、ジェシーが自由を手に入れるための頼みの綱でしたが、金が足りないという理由で一度彼を追い返します。
これは一見、まともな対応でしかないようにも思えますが、悲惨すぎる経緯を持つジェシーに対して機械的に接する老練な薄情さはある意味「ずる賢い大人」です。
しかし彼は、ジェシーが逃走しやすいように計らうという優しさも見せており、また、金が用意された際には、一度信用を失ったジェシーの依頼を快く引き受けました。
これもまた、「ずる賢い大人」が「子供」を自立(自由)へと導いたということです。
四人目は、他ならぬウォルターです。
本編でのウォルターは、ジェシーを助けることもありましたが、それは「導いてくれる大人」としての助けなのか微妙なところでした。
しかし、回想で登場した彼は、ジェシーの将来を本気で考え、彼に大学に入って経営学を学ぶよう勧めていました。
「ずる賢い大人」の究極である彼も、「導いてくれる大人」の一面を持っていたということです。
ジェシーにとって最高の「導いてくれる大人」はどう考えてもマイクであり、実際、ジェシーは彼の言葉を受けてアラスカへ逃避しましたが、ウォルターもジェシーの将来像に影響を与えていたのかもしれないと考えると非常に感動的です。
逆に、ジェシーの前では終始「ずる賢い大人」の面しか見せなかったソウルやガスは、彼の中では永遠に怪物のままであり、故に今作には居場所がないのだと思います。
トッドの悲哀
今回、回想シーンで最も出番が多かったのがトッドです。
必要とあらば簡単に人を殺める一方で、ジェシーに対しての気配りを見せるトッドは、相変わらず生粋のサイコパスのような雰囲気を漂わせていました。
しかし、今作のコンセプトを通して観察すると、彼が頻繁に口にする「ジャックおじさんが言うには」という言葉からわかるように、彼はよくない大人に導かれた被害者でもあるのかもしれません。
また、ウォルターが殺した相手の特徴を引き継いでいったように、トッドも自分が手にかけた少年のタランチュラを飼い続けていましたが、これは「過去に犯した罪を取り消すことはできないし、自分の一部になる」ということを象徴しており、それはジェシーにとっても同じであるということを暗示しているのだと思います。
まとめと補足
スキニー・ピートとバッジャーがあそこまでジェシーに親切だったのは、「ずる賢い大人」たちのわかりにくい優しさとの対比だと思います。
あの二人、最高にいい奴でほんと大好きです。
余談ですが、トッドの太りようにはマジでびっくりしました。
好意的に解釈すると、ジェシー目線の彼はああいう体型だったってことかな。
『ベター・コール・ソウル』でも、過去編なのにマイクの孫娘がどんどん成長していたりするので、制作サイドはあまりそういう視覚的矛盾を気にしていないのかもしれません。
ある意味、舞台として見ればいいのかな。
とりあえず、ウォルターとジェシーが並ぶ姿をまた見ることができて嬉しかったです。
できればまた続編を作って欲しいな。
評価:☆☆☆☆☆(5点満点)