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『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』感想|怪獣だけはよかった

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

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©Godzilla:King of the Monsters/Legendary Pictures

 

監督:マイケル・ドハティ

キャスト:

カイル・チャンドラー ヴェラ・ファーミガ 渡辺謙

ミリー・ボビー・ブラウン チャン・ツィイー etc.

 

概要

日本の国民的怪獣・ゴジラをハリウッドが3度目の映画化。

1998年公開の『GODZILLA』との関連性は無く、2014年公開の『GODZILLA ゴジラ』の続編。

2017年公開の『キングコング:髑髏島の巨神』を含むモンスターバースとしては3作目となる。

 

あらすじ

ゴジラと2体のムートーが死闘を繰り広げてから5年後。

巨大生物と、その調査機関モナークの存在が公となり、人間社会は変革を迫られていた。

中国・雲南省では、モナークの科学者エマ・ラッセ博士と娘のマディソンが、産声を上げたばかりの怪獣・モスラと少しばかり交友を結ぶが、環境テロリストの襲撃によりさらわれてしまう。

モナークの代表・芹沢猪四郎博士らは、元同僚にしてエマの元夫であるマーク・ラッセ博士に協力を依頼し、テロリストたちの居場所が南極であることを突き止め、急ぎそこへ向かう。

マークはエマとマディソンを見つけ出すが、エマは爆弾を起動し、テロリストたちが目覚めさせようとしていた怪獣・モンスターゼロを解き放って逃走してしまう。

宿敵の復活を感知したゴジラも現れ、彼とモンスター・ゼロが激闘を繰り広げる中、一行は痛ましい犠牲を出しながらも救護された。

エマからのメッセージが届き、怪獣こそが人類が害した地球に調和をもたらすという思想が語られる。

全ては彼女の計画であったのだった。

しかし、モンスター・ゼロ――モナークアイリーン・チェン博士が語る伝承によるとギドラ――に呼応し、メキシコの火山に住まうラドンを始めとした世界中の怪獣たちが暴れ出し、地球はエマの予想を超えた大混乱に陥る。

 

※ネタバレ注意

 

登場人物

マーク・ラッセカイル・チャンドラー

巨大生物の調査機関モナークの元メンバー。

怪獣と交信できる装置「オルカ」のプロトタイプを開発した。

5年前のサンフランシスコでの戦いで息子のアンドリューを亡くしており、怪獣たち、特にゴジラに対して憎しみを抱く。

固い人間のようだが、私情を押し殺し、ゴジラに敵意がないことを示して危機を回避しようとするなどなかなかクレバー。

一連の事件を通して怪獣への見方が変わっていく。

 

エマ・ラッセヴェラ・ファーミガ

モナークのメンバーでマークの元妻。

モスラの調査・観察のため、娘のマディソンと共に中国に滞在している。

テロリストに誘拐された被害者と見せかけてがっつり主犯

地球に調和を取り戻すための怪獣復活計画によって被害者を出しまくり、娘に「あなたこそモンスター」と言われてしまう。

ほんとだよ。

 

マディソン・ラッセ(ミリー・ボビー・ブラウン

マークとエマの娘。

エマに隠れて時折マークと連絡を取り合っている。

演じるのは『ストレンジャー・シングス』でおなじみミリー・ボビー・ブラウン

本作が銀幕デビュー。

終盤ではオルカを使って大活躍。

超能力は使えません。

 

芹沢猪四郎渡辺謙

モナークの代表。

父親の跡を継いでゴジラの研究に生涯を捧げている。

被爆二世でもあり、核をエネルギー源とするゴジラとは複雑な関係にある。

人間のキャラクターではほぼ唯一、前作から続投。

ある意味本作の主役であり、人間サイドでは彼の活躍がハイライトと言っていいと思う。

前作同様、渡辺謙のこだわりにより「Godzilla」を「ゴジラ」と発音する。

素晴らしいこだわりだと思うが、件の単語がわりと頻出するため、そこだけ日本語だとちょっと電車のアナウンスみたい。

オリジナルに登場する芹沢大助のオマージュ。

 

アイリーン・チェンチャン・ツィイー

モナークのメンバー。

三代に渡りモナークに所属する一族で、怪獣にまつわる伝承に詳しい。

同じ画面には映らないが双子のリン・チェン博士がおり、こちらもチャン・ツィイーが演じている。

オリジナルに登場する「小美人」のオマージュ。

 

登場怪獣(メイン)

ゴジラ

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©Godzilla:King of the Monsters/Legendary Pictures

 

タイトルロール。

爬虫類・もしくは両生類型の怪獣。

圧倒的なパワーを誇る怪獣の王。

積極的に人類に手出しすることはないが、ひとたび暴れ出すとその破壊規模は計り知れない。

 

ギドラ/モンスター・ゼロ/キングギドラ

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©Godzilla:King of the Monsters/Legendary Pictures

 

三つ首のドラゴンのような怪獣。

主に雷を操り、ハリケーンとも形容される。

南極で氷漬けになっていたが爆発によって目覚め、世界中の怪獣たちを従わせる。

驚異的な回復能力と伝承の記述から、地球の調和の外にいる宇宙生物であると考えられ、芹沢からは「偽の王」と呼ばれる。

 

モスラ

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©Godzilla:King of the Monsters/Legendary Pictures

 

昆虫型の怪獣。

中国・雲南省で芋虫のような姿で卵から孵り、繭を経て蛾のような姿となった。

口から吐く糸と鋭利な手足を武器とする。

基本的には人類を攻撃することはなく、また、ゴジラと共生関係にあり、他の怪獣たちがギドラの軍門に下ってもゴジラの側についた。

 

ラドン

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©Godzilla:King of the Monsters/Legendary Pictures

 

翼竜型の怪獣。

メキシコの火山に眠っていたがギドラに呼応して目覚める。

現地では「炎の悪魔」と呼ばれており、超高温を身体に宿し、また、飛ぶだけで町一つを破壊するほどのソニックブームを起こす。

ギドラと戦うが敗れ、彼の下につく。

 

戦わせまくりましょう

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僕、子供の頃ゴジラってマジで怖かったからそんなに見てないんですよ。

映画館で観たのはこれの前作と『シン・ゴジラ』だけのにわかです。

それでも本作のいわゆる「VS路線」にはなかなか興奮させられました。

前作で芹沢が発した「Let them fight(戦わせましょう)」が海外でミームになっていましたが、今作ではもうそれが当たり前になっています。

ギドラにゴジラをぶつけ、ラドンにギドラをぶつけ、またギドラにゴジラをぶつけ……人間にできる抵抗の基本がそれ。

だから必然的に怪獣VS怪獣バトルだらけです。

これは贅沢ですよ。

また、宗教画と自然現象を参考にしたというそれぞれのビジュアルとモーション、エフェクトがかなり神秘的で、熱さや迫力と共に美しさを堪能できたのもよかったです。

各所で散々言及されていますが、メインであるゴジラ、ギドラ、モスララドンにしっかりキャラ付けされているのも魅力的でした。

ゴジラは相変わらず何を考えてるのかよくわかりませんが、それは描写が足りないのではなく「そういう奴なんだな」という感じ。

ギドラは邪悪だけど三つの首が喧嘩してたりするお茶目な独裁者

モスラ美しく気高い戦士で、ゴジラのお嫁さん

ラドンはクールだけど常に強者の側につくサラリーマン

彼らの怪獣模様が、ある意味人間たちのドラマより濃厚だった気がします。

にわかなんで、監督がオリジナルの要素をどこまで網羅しているのかは正直わからないんですが、彼の愛が止まらない映画なんだなってのはこれだけでも十分伝わってきました。

 

人間パートはまあまあ

人間パートは普通でしたね。

離婚した男女とその娘の家族愛、エコテロリズム、オタクと生粋の軍人と皮肉屋というモナークのメンバー構成、どこをとっても「ザ・ハリウッド映画」という感じで、監督、(一部を除いて)人間に興味ねーんだなあ(笑)というのが伝わってきました(違ってたらすいません)。

ただ、エマの暴走っぷりの不快さはなかなかのインパクトでした。

地球のためとか言ってるけど、あんたは何様なんだ。

どれだけの人が犠牲になったと思ってるんだ。

サノスの手下なのか。

結局、息子を亡くしたことに耐えられないから、その死に意義が欲しかったという個人的な動機で動いたとしか思えないし、娘まで巻き込むし。

ラストでの命を投げ打つ行動の後でもやっぱり好きになれませんでした。

単純に気に入ったのは芹沢博士にまつわるシーンたち

「核」というキーワードがあまり前面に出てこない本作において、ゴジラの出自(このシリーズでは核で生まれたわけではないが核で目覚めた)を再確認させてくれるのもよかったし、ゴジラを復活させるために自らを犠牲にした時の勇姿は感動ものでした。

 

「調和」について

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作中ではエマの急進的な計画については良しとされていませんでしたが、怪獣の時代の再来によって人類の活動が抑制され、地球環境が改善されること自体は、クレジット中のエピローグでがっつり肯定されていました。

自分としては、その肯定の仕方にちょっとモヤモヤしました。

まず、怪獣たちが闊歩することによってもたらされる「調和」が、ちょうど「人類に害もあるが、受け入れられる程度」という形に収まることはありえないわけですよね

今後も怪獣によって多くの痛ましい犠牲が出るはずです。

で、そういう「受け入れられない害」を阻止したい気持ちと、自然を畏怖し尊ぶ気持ちの折り合いを突き詰めた先に、それぞれの倫理の基準が混在し、そのどれが正しいかなんて決められないはずなんです。

それなのに、最後の最後で、まるで「怪獣に委ねた世界=素晴らしい世界」という一つの客観的な答えが存在しているかのようにまとめられてしまっている感じがして、開き直りというか、丸投げというか、根っこのところで一神教的というか……。

人類のエゴについて散々語られていましたが、生きるということはそもそもエゴですから

エゴをエゴと理解した上で、どの程度突き通し、どの程度他者と擦り合わせるのか……そういうことを考えさせる余地がもうちょい欲しかったです。

考えすぎですかね?

 

※追記:クレジット中の新聞記事で黒塗りにされている部分が人類にとっての大きな害という説があるようです。もしそれが本当ならごめんなさい

 

これからどうするんだろう

ラストで、地球の生態系の頂点に立つのは人類ではなく、完全に怪獣たちになったわけですが、今後どうするんでしょうね。

アベンジャーズ』後のMCU並に、決定的に現実と異なる世界になったわけですが、モンスターバースは手本となる原作がないし、整合性のある「架空の社会」を作るのはなかなか骨が折れるのではなかろうか。

そして、いよいよ次作でゴジラと対決するらしいキング・コングに果たして勝ち目はあるのか!?

楽しみにしていましょー。

 

評価:☆☆☆(5点満点)